シンポジウム

朝、掃除と洗濯、読書。もう少しで町田康の新作『告白』を読み切れそう。

昼、甲南大へ。

デリダのシンポジウム。id:shirime氏と。

感想は、ただ、ひたすらに、疲れた…

いろいろあるけど、個人的にはトーク全体のテンポが悪いなと思った。

質問と回答の論点についての差異…

正直、ああいうドキュメンタリーの映画の評価というのはどのように決めればいいのだろうか僕にはわからない。そのような価値というものを決めてはいけないものなのか…

しかし、それはあくまでも商業的な見方による価値であって、学術的なものということからの評価も当然存在するだろう。その場合、何をもって「面白い」「面白くない」ということを考えていけばいいのだろうか。製作者サイドの意向が反映されているとか、対象の考えがうまく反映されているとかだろうか。だが、デリダに関しては自ら閉ざされた知の体系を拒絶しているわけだし、それは映画であろうとも同じことが言えるのではないか。それについての質問も出ていたと思うけれども、いまいちな反応だったような気がする。

ドキュメンタリーに関しての製作者サイドの意向というのもなかなか興味深い関係だと思う。「ドキュメント」いいながらも、映画であるゆえの、「切り取り」、「編集」が行われる。何がドキュメントと呼ばしめるのだろうか…

仮にデリダ自身が嫌がったとしたら、それは己の「らしさ」というものを勝手に決めないでくれ、というところにあったのではないか。私は私として存在するが、その領域を勝手に制限されるのはたまらない。あなたたちがやっているのは、あなたがたの「中」に存在する「わたし」をオリジナルな「私」として作り上げてしまうことだ。それは決してオリジナルな存在ではないのにもかかわらずだ。そして、その非オリジナル像が「私」を侵食する…堪らない…私はそう簡単に汲み取りきれる存在ではないのだ…といいたいのではないのだろうか。

このようなことはデリダに精通している人々には片腹痛いことを言っている、と捕らえられるかもしれないけれども、とりあえず自分の言葉で語ってみることが大事だと思っているので、覚書。

ほんとに疲れたのでエポケー…

個人的には消化不良…

終わったあと、id:shirime氏と話す。お互い疲れてた…

研究室の話や留学の話。

考えていかないといけない。

そろそろこのブログのスタイルとデザインを変えようかな…

思案中。