ドゥルーズ関連
『ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ』ジル・ドゥルーズ(國分功一郎訳)
『無人島』に収録されていない論文。
サディズムとマゾヒズムの違いを明らかにしながら、病というものをどう考えるべきかというもの。フロイトへの批判もこめられている。
以下、大雑把なまとめ。
ドゥルーズによれば、サディズムは機械論的・道具主義的であり、マゾヒズムは文化主義的・美学的である。
さらに、マゾッホ/マゾヒズムに見られる三つの特徴を挙げている。
1、芸術作品を通して、自らを知ること
感じ取ることから知ることへ。すなわち官能から「理論家」へ。この転換がマゾヒズムの一つの特徴である。
2、契約への欲望
従来の父権制社会における契約概念とは異なり、女性の物質的優位、母性が父性よりも優越しているのを示すもの(マゾッホ)である。この契約概念には、第三者への影響・支配力といたものが見受けられることから、法的な要素も含まれる(契約という概念は私的なものであった)。
特に、この契約概念は後ほど見る、近親相姦と去勢ということに関連し、重要な概念である。
3、特定の歴史的パースペクティヴによってのみ、マゾッホの契約は理解される。
ヴィーナス・アフロディテ的世界=男女の対等な関係の世界により理解され、それに続くローマ的世界・キリスト教的世界=男性原理、父権制社会では理解されない。
こうしたことはバッハオーフェンの概念にも見られる。マゾッホもバッハオーフェンの影響を受けているが、彼自身の固有のものとして『退行的空想』という考えが挙げられる。
この『退行的空想』とは父権制そのものを利用して女性支配を復興、女性支配を利用し、原始共産制を復興させるのを夢見ることである。
こうして三つの特徴を整理した後、マゾヒズムにおける女性/母性の優越性を確認した後、ドゥルーズはフロイトに対して批判を行なう。
その要旨としては、フロイトのマゾヒズム論は"父"のイメージが大きすぎる。マゾヒズムには父の影響を受けることのない"母"のイメージが存在するが、フロイトはそこまで踏み込んでいないというもの。
さらに、ユングとの比較を行ない、起源も価値も異なる無意識の多様な複数性を導いている。なお、こうした観点から見て、サディズムとマゾヒズムが二つで一つの単位を構成する、という考え方に対してドゥルーズは反対している。