第四回視聴覚文化研究会。

今回は神戸。

内容はミース・ファン・デル・ローエ、エグルストン、アーカイヴ論、東松照明論、ロンドンで行なわれたシュルレアリスム展の展評。


ミースに関しては、質問させていただきましたが、やはり細部の問題が気になります。大理石とガラスのの質問で聞きたかったのは、大理石とガラスというある種矛盾した建築「素材」が、構成されることによってどのように「物質性」を獲得するか、または、獲得するのだろうか、ということです。こうしたある意味ではバロック的な組み合わせによって、バルセロナ・パヴィリオン、合理主義者ミース・ファン・デル・ローエという像をもう一度再考することができるのではないか、と思ったからです。


エグルストンの発表は、やはりシャーカフスキー側からのエグルストン操作というものを説明してもらった方が分かりやすかったです。シャーカフスキーはもちろん大分読まれていると思いますが、visual readerでダグラス・クリンプが言及している小論もあるので、参考になるかもしれません。


アーカイヴ論では、用語の問題が気になりました。アーカイヴとコレクションの違いはどこにあるのでしょうか。そして、アーカイヴの作用と写真の作用がどのように重なり合って、ボルタンスキーの「写真アーカイヴ作品」が作用するのかということです。今後の研究課題にもされていましたが、それがどのようにしてノスタルジア、ノスタルジー的なものへとつながっていくのか。今回はそこをつなぐものとして、ポール・ヴァレリーアドルノを挙げておられましたが、この点はフーコーの『言葉と物』にも関連すると思います。


東松照明論は、確かにそのように東松の写真を読むことはできると思いますし、なるほどと思った部分もありました。しかし、東松絶対論のような印象を受けてしまうような気もします。今回の発表とどこまで関連するかは分かりませんが、どこかで、東松を相対化する視点が必要ではないでしょうか。


シュルレアリスム展の展評では、実際にロンドンまで行かれて調査されていることもあり、興味深く聞くことができました。ただ僕個人としては、展評の発表を聞くのが今回初めてでしたので、どのような結論になるのか、また展評としての結論がどこなのかがいまいちよく分かりませんでした。

以上、自分のことは棚に上げて、勝手な感想と質問の補足を挙げさせてもらいました。

全体としては時間も制限されていて、発表者の皆さんは論旨をまとめるのが大変だったと思いますが、聞き応えがあり、面白かったです。

発表者の皆様、参加された皆様、お疲れ様でした。