今日は古本市の準備のバイト。分かったのは、古本屋という仕事は、番台に座るがごとくカウンターに座っていればよいというものではなく、極めて体育会系的な力仕事なのだということ。

しまったことに、野村誠のイベントがあったのをすっかり忘れていた。

こちらは忘れずに

「コミカル&シニカル」韓国と日本の現代写真/二人の女性ディレクターから見た一側面 

* 1/17(水)〜1/31(水)12:00ー20:00 月休館 
* ドーンセンター地下プール跡
* 入場料 300円

参加作家

* 【日本】浅田政志、小松原緑、みとま文野、佐伯慎亮、渡邊耕一、池田朗子、山下豊、梅佳代
* 【韓国】申恩京、波惹、嚴殷燮、金奎植、金東鈴、盧順澤、金華用、河惠貞

【comical_cynical_photo_exhibition】

大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)::DawnCenter】

もう一つ。


* 「〈醜〉と〈排除〉の感性論」 2006年度第3回 公開講演会 | 京都国立近代美術館
+ 日時:2007年1月27日(土)午後1時〜4時10分(2部構成)
+ 場所:京都国立近代美術館1階講堂
+ 主催:京都国立近代美術館、科研「〈醜〉と〈排除〉の感性論」研究会
+ 聴講料・定員:聴講無料、先着100名
o 午後1:00〜2:30 佐藤 守弘(京都精華大学)「〈珍奇なもの〉のコレクションとしての横浜写真アルバム」
o 午後2:50〜4:10 長野 順子(神戸大学文学部)「メドゥーサ幻想」



今から考えると、大貫妙子矢野顕子など、みんなのうたは結構豪華な顔ぶれだった。今でも湯川潮音などが絡むときもある。この「コンピューターおばあちゃん」もそう。編曲は坂本龍一。よくみると画面に「I LOVE YOU…YMO」の文字が見える。曲の発表は1981年らしい。サイバーパンクという発想の先駆けとなったウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』の出版一年前であり、まだMacintoshすら発売されていない時期である。一般の人にとってコンピューターという存在がどういうものか分かっていない時期だろう。
コンピューターおばあちゃん」で使われているコンピューターという言葉は「情報処理のための演算能力が高い」という意味で使われているように思われるが、「コンピューター」=AI=人工知能という発想と同時に、さほど強くはないもののギブスンの『ニューロマンサー』でみられるようなネットワーク空間への「ダイヴ」という発想、「他者との接続」という発想、コミュニケートを繰返し、人間の知性の拡張、IA=Intelligence Amplifier=知性増幅器としての性格を二番の歌詞に見て取ることもできる。これは映像中の宇宙空間への「ダイヴ」にも見られるだろう。コンピューターに対する考え方の一つとして、AIからIAへというグラデーション的な流れをあげることができるが、「コンピューターおばあちゃん」のコンピューターに関してもそうした考えを見て取ることができないだろうか。
さらに、映像に関しては、宇宙船や宇宙空間、言語アルゴリズムのようなものが見られる。言語アルゴリズムはいいとしても、コンピューター=宇宙や宇宙的なものというのはどこからきたのだろうか。やはりキューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968公開)からか。それと、「宇宙」といったときの光の色や光の線。あれはどこからきているんだろうか。クラフトワークYMOなど電子機器を用いたエレクトリックなバンドからの影響なのか。
80年代、コンピューターやメディア、宇宙やテクノに対してどのような考え方がなされていたのだろうか。このころ戦隊ヒーローもの(宇宙刑事ものとか)もそうした宇宙やテクノ的なものを抜きには語れないように思われる。