学会全日程終了。北海道を後にして京都に戻る。

発表は大勢の方々に来ていただき、沢山の厳しい指摘と今後の示唆を多くいただいたので感謝しております。

まず今回の発表の一番の問題点としては、情報量を詰め込みすぎたこと。詰め込んでもよいとは思うのだが、各論の接続がうまくいっていっていなかった故に、論と論のあいだで断絶感を与えてしまった。具体的には、時間論と感覚論のあいだにはもう少し議論を細かくつないでいく姿勢が必要であるということ。議論をドゥルーズの概念の大枠でぶつけてしまうことで、議論が一般化してしまった。
次に概念を単純化しすぎたこと。明確に語ろうとするあまり、Dの一番面白いところを失ってしまった。二項対立の図式に落とし込みすぎてしまったため。
三番目は、Dの芸術論とその政治性の観点が抜け落ちていたこと。

それに全体的な問題としてプレゼンテーション、質疑の斬り返しの未熟さ。
すべての指摘が連鎖している。

これらを解決するために、先にも述べたがまずはベーコン論を精読し、ベーコンの絵画にしかいえないことを語り、haptiqueの特異性、タッチとしての瞬間、その機能を明らかにする。時間論は別枠で語るように。感覚論と時間論は別々に論じることが必要になる。
Dの面白さはその疾走感にある。それを出すためには具体例をうまく採り上げる視点が必要。
とりあえずはこの二点を軸に据えて、論文に取り掛かる。

全体を通して何より反省しなければならないのは、攻めることができなかった点。自分ではかなり攻めたつもりであったが、結局、論を普遍化するということはDの議論が持つ肌理の面白さを失わせてしまい、それは別にDの議論について論じているのではなく、一般的なものを一般的に語ることであるし、別にベーコンの絵画やhaptiqueについて論じる必要性もなくなってしまう。どこかで自分の結論に対して責任を引き受けようとしなかったから、こうしたことが起こったのだろう。自分の結論に対して責任を持ち、何が面白いと思っているかを明確に語れば質疑応答の対策やプレゼンテーションももっと改善されるはず。