音楽

最近疲れがたまっていたけれども、ようやく抜けてきた。これも年のせいなのかな…と思ったら、頭が痛くなってきたので今日はほとんど家ですごすことになってしまった。風邪かな。一日中音楽を聴き、本を読んですごすことにする。
 僕はクラッシク音楽に抵抗感を覚えていた。今でもクラシックを聴こうとするとその思いが昔ほど強くは無いけれども、甦る。その原因ははっきりしていて、小学校から高校にかけての音楽の授業にある。幼少のころはクラシックをそれとして認識するのは音楽の授業に限られていたと思う。決定的に嫌いになったのは、あるヒエラルキー―大げさかもしれないけれど―を感じてしまったからだ。僕が教わった音楽の教師は誰しも音楽が出来る生徒と出来ない生徒を見事なまで区別していたのだ。僕は何か楽器が出来るわけでもないので、音楽の授業といえばただ参加している、それだけだった。ここでいろいろ書くにはあまりにも感情的になりかねないので詳しくは書かないけれども、そういった体験の中で一番驚いた―腹が立つよりも―のは高校の授業で名前を間違えられ続けたことだ。僕と名前を間違えられていた友人も状況としては同じようなもので、二人で「しかたないね」的な顔をしていたことをよく覚えている。当時は今ほど割り切って考えることは出来なかったように思う。ほかにもいろんなことがあって、決してクラシックが悪いわけではないけれども、『クラシック音楽』自体がある種の権威主義的なものと結びついて非常な嫌悪感を催させるものとなってしまったのだろう。