CMシンポジウム

桂駅経由で日文研へ。

工学部のキャンパスが桂に移動していたのは知っていたけれども、実際に桂駅で下車するのは初めて。

友人が言っていたとおり、本当に何もない。

西6系統のバスで日文研へ。

ますます周りにないもない…

今日聞いた発表は以下のとおり

吉見俊哉
山川浩司氏
・高野光平氏


吉見氏の発表の全体の構成としては、戦時期のビラやポスターに関するプロパガンダを、時代・国家など時期や場所による視点や、美術・映画・写真・テレビなどジャンルによる視点によって比較し、新たに言説を構築することで、ビラやポスターがどのような位置を占めるようになるのかを考察するものであった。さらに、その際に必要となるデジタルアーカイヴの存在にも言及し、アーカイブの利用、存在が横断的になることが重要だとも主張されていた。西周の『エンサイクロペディア=百学連環』の概念を例に出しつつ、このアーカイヴも単に、資料・情報的アーカイヴのレヴェルだけではなく、概念・方法のアーカイヴというメタ・アーカイヴが必要とも言及されていた。どちらかというと、後者の主張に力を入れていたような気もする。
細かい点としては、戦争期のプロパガンダに関するビラ・ポスターについて。第一次大戦期のビラやポスターがイメージが洗練されているのに比べ、第二次大戦期のものはそうではないという指摘については興味深かった。
発表の視覚的なスタイルとしては、パワーポインタを使い、画面の三分の一程度のところで常に戦時期のビラやポスターのスライドが展開されていた点。

山川氏は前にもブログに書いた『CM25年史』の著者。
1950年代から1990年代までのCMの具体例を流して解説するというもの。初めてレナウンの『イエイエ』を見た。氏の主張としては、現場の出身ということもあるのだろうか、やはり具体例と効率というものに重点が置かれていたように思う。

高野氏の発表はCMを作品史としてではなく、メディア史としてとらえようとするもの。CMを細かくジャンル分けし、ジャンルの変遷から、CMが文化史の中でどのような意味を持つのかということを主張されたかったのだと思う。しかし、正直僕には良くわからなかった。作品史からメディア史への転回ということを発表のタイトルに挙げておられたが、どこでどのように転回したのかがよく理解できなかったのが残念だった。主として、CMの構造(流れる時間や種類としての構造)に注意を向けすぎるあまり、それがどのような意味を持つのか、ということが見えなかったように思う。もちろん、それらはおさえねばならないものである。しかし、僕が言うのもなんだが、そこからの転回が一番聴きたいところでもあった。コメンテーターの吉見氏も指摘しておられたが、これはCMの作り手だけではなく、その受容者側等の視点がかけているということと、それと、それらを考察した際に生じるCMの役割について言及がなかったことと、「メディア」というものの概念的な捉え方がどのようなものか、ということがはっきりしていなかったためであろう。後者に関しては発表者ご自身がメディアと形式の区別が付いていないといっておられた。
最後に漏らされた言葉で、CMの一社提供の方が複数社提供よりも、ヴァラエティーに富む形式がうみ出されるということを仰っていたように聞こえたが、僕はそれは少し違うと思う。確かに、一社提供では形式の多様性が生まれるが、複数社提供の状況では、どの会社も横一線的になるからこそ、内容で差異をつけようと考案するようになったのではないだろうか。ヴァラエティーの種類が違うように思えた。
とはいえ、丹念に調査がなされ、参考になった資料は非常に大きい。