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授業でこられたメディアアーティストの方の話を聞く。
記憶、というものを軸にして映像作品を制作している方である。
記憶という極めて私的なものを、作品というある種公的なものへと転換することで何らかの力が生まれるのではないかということを質問させていただいた。
例えば、クリスチャン・ボルタンスキー―僕よりも詳しい人がいるけれども―もアルバムという私的なメディアを公開することで、そこにはノスタルジーやキッチュといったものが生成されると思われる。それは若干レヴェルが違うかもしれないけれども、前に教えてもらったウディチコについても似たようなことがいえるだろう。
プライベートからパブリックへ。
しかし、完全にパブリックというわけではなく、どこか覗視症的な要素も残した作品鑑賞。