田中泯『透体脱落』の舞台へ。

花道から片手に竹の棒をもち、なにやら怪しげに舞台へと向かう。

服を脱げば60歳過ぎには見えない鍛え上げられた体つき。それは、自己を外部から守るための鎧としての身体ではなく、内側の衝動、力をむやみに外部へと開放しないための安全弁のように見える。自身の内部で蠢く光速のリズムに耐えることができ、そのリズムを目に見える形で外部へと放出を可能にする透過性を具えた身体である。光速のリズムを外部へと移し変えるとき変異が起こり、ギクシャクとした動きへと移行する。速さと遅さが身体という膜を軸にして同時に発生し、同居する。

速さにより遅さが生まれ、遅さにより速さが表現される。

思わず見入ってしまう舞台だった。

ただ残念だったのが、やはり舞台であったため、暗黒舞踏の持つ土臭さ、淫猥さ、陰秘性がその対極ともいえる洗練さやアカデミックなもの、大文字の「芸術」へと回収されてしまった部分があったことである。もちろん、舞台公演ということで見る機会を得ることができたのも否定できないが、田んぼや畑の真ん中で今回のような舞踏を見ることができたらそれはまったく違うものになるだろう。