「荒野のグラフィズム 粟津潔展」@金沢21世紀美術館

 今回の展覧会は映像からグラフィック、絵画など1700点を超える作品が出品され、まさに浴びるように粟津潔の作品を鑑賞することになる。
 数多く出展されていた作品の中で、最も興味を引かれたのが指紋を拡大してイメージの上にプリントした作品であった―多分これは以前のイメージ論で指紋の発表を聞いたためもあるだろう。そうした作品はいやでもその指紋の持ち主の存在を意識させることになるが、それ以上にメディアと触覚の結びつきを想起させられた。指紋が印刷された作品はもちろん意図的なものであるので、インクが乾かないうちに思わず指が触れてしまい指の痕跡が残ってしまったというような指紋のあり方とは異なるだろう。しかしながら、指紋が残る/残ってしまうような印刷技術―例えばガリ版刷りのポスター―、メディアテクノロジーと結びつくことで、作品はある種の生々しさは帯びることになるのではないだろうか。若干単純に過ぎる見方かもしれないが。もちろん、「入り込んでしまう」偶然性の有無については考えなければならない。痕跡、触覚、偶然。ある意味、不純物である(もしくは意図的に行われた)指紋の混入によって生まれる作用とはなにか。サインとしての指紋以上の指紋としてのあり方。
 また、指自体は手の作用において最も貧弱なものとされるが、携帯ゲームや音楽の使用に見られるようにある意味では純粋なまでに合目的的に特化された機能をもつ器官でもあろう。貧弱ではありながらも純化した指の作用とメディアが結びついたときに生み出されるものとは一体どのようなものであろうか、といことを考えさせられる作品でもあった。