エコロジーつながりで。
ジェームズ・ギブソンが提唱した生態心理学における情報概念について書かれた論文を読む。著者はエドワード・リードとレベッカ・ジョーンズ。リードはいくつか邦訳された著作もある。

大枠としては、旧来の心理学―特に構成主義 constructivism―に対していかにギブソンの生態心理学がラディカルであるか、ということを心理学の実験方法の違いや、特に知覚や運動といった観点から論じたもの。
違和感を感じたのが、ギブソンが感覚よりも知覚に優位性を見ていたという内容である。確かに、ギブソンの著作ではそう取れる部分もあるけれども、実際に従来の五感とは異なる形の感覚論について論じている二番目の著作もあるので、そこまで言い切ってしまっていいのか、という違和感は残る。おそらく、感覚と知覚という分断して考えるようなありかたとは異なる感覚・知覚論を考えるというニュアンス込みで、知覚を優位に採り上げているといっているのだと思うのだけれども。
それともう少しサイバネティクス的な情報概念との違いが書かれているかと思ったが、あまり無かったのが残念。もちろん言語をベースとしているかどうかで大きな違いはでてくるが、それでも例えばギブソンと同時代のベイトソンなどは情報や形態の話などで似ていることを考えているような気がする。

ひとまず、運動と知覚の枠組みはきちんとおさえることにする。

また、この論文で芸術とギブソンの話で関連するものとして挙げられるのがゴンブリッジとグッドマン。

Languages of Art

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分析哲学との絡みは必然的にでてくると思われるので、こちらにも目配りしておく。