月が赤く満ちる時―ジェンダー・表象・文化の政治学

月が赤く満ちる時―ジェンダー・表象・文化の政治学

詩人、映像作家などさまざまな顔をもつトリン・T・ミンハの著作。

トリンやその作品に関してしばしば言及されるのが、彼女の出自ではないだろうか。

つまり、ベトナム出身で、フランスに留学し、アメリカへと活躍の場所を移していったマイノリティ、さらには女性であるということ、である。

もちろん、トリン自身もそのような経歴・性別から意識的・無意識的に言説や作品を制作しているのだろうが、それを語る側が、彼女の出自にまつわる背景へと飲み込まれてしまっているのが多いように感じられる。すなわち、作家論的な観点からのみ語られてしまっていることが多々あるのではないだろうか。

それに関する検討はとりあえずわきにおき、本著作は周縁(部)から/の思考ということが一つキーワードになるように思われる。

周縁(部)という概念は、他者やエスニシティなどの概念と同様、反帝国主義や多民族主義などを語るときに用いられる。

しかしながら、そうした概念自体が、帝国主義などを作り上げた白人=西洋の思考体系において成立する概念であり、それを用いることにより西洋=白人的思考様式を強化する側面をももつ。

トリンの思考はそうした「周縁」という概念をもちいて、ファロス中心主義、男性中心的なあり方を批判しつつも、そうした「周縁」の概念そのものにも批判を向ける。それは「周縁」という概念を空間的な対置(ヨーロッパに対するアジアなど)に回収するのではなく―例えば取り上げる作品を、アフリカなど作家の出自としての「周縁」に還元してしまうのではなく―周縁の概念そのものを流動的にし、ノマドのようにさまざまな方向へと流出させ、接続させる。すなわち、周縁部から議論を開始させつつ、周縁の概念そのものを作り上げる襞を精緻に解きほぐし、そのとき周縁は空間的な場所にとどまらず、異なる方向へと展開していくことになろう。