今日の本

 『ギリシア劇集』(「アンチゴネ」「エレクトラ」(ソフォクレス)、「アウリスのイピゲネイア」「メーディア」「エレクトラ」(エウリピデス)、「デュスコロス」(メナンドロス)、「雲」「女だけの祭り」「騎士」(アリストファネス))
 ラッセルの『西洋哲学史』で該当するところを読んでいたため、理解を助けられたところもあり、かなり面白いものもあった。といっても、それは作品によってかなり差があって、正直、エウリピデスの「エレクトラ」以降の作品はよくわからなかったな。一昨日から通して一番面白かったのは、エウリピデスの「エレクトラ」。最後のデウス・エクス・マキナも実際に読んでみないことにはわからなかったが、今回で理解することが出来た。でも、僕が疑問に思うのは「エレクトラ」だったら、「エレクトラ」の何に対して悲劇性を感じているのかということだ。父アガメムノンを殺されたエレクトラは、奇跡的にも助かった弟オレステスとともに仇を討つ。その仇はアガメムノンの従弟であるアイギストスと実母クリュタイメストラである。
 以上が「エレクトラ」のあらすじなのであるが、どこに悲劇性を感じるのだろうか。僕としてはアガメムノンよりもさかのぼる、この血筋の呪われた家系や、肉親の争いということに悲劇性を感じるのだが、「エレクトラ」を読んでみて感じることは、肉親同士の争いということに関しては割と淡々としているということだ。最も、劇にした場合、演出家によってポイントが違うわけだから、文章だけであるなら自分の感じたとおりで良いと思うのだけれども。
 ほかに興味深く思ったことはコロスのペルソナ性ということだ。コロスは観客と劇中の人物をつなぐ、言ってみれば現実と非現実をつなぐ通路的役割をも果たしているのではないか、と感じる。その合唱は双方向的であり、決して単なる背景と化すことはないのではないのだろうか。後々考えてみたいことではあるかな。
 つながりのある劇、例えば「アガメムノン」と「イピゲネイア」とかは続けて読んでみたほうが良いかな。