演習発表の方向の一つとして、ドゥルーズベンヤミンの関係を考える。

ベンヤミンがリーグルの影響を受けて触覚―視覚ということを考えるとき、リーグルのどの段階での触覚概念を導入したのかということが問題になるように思われる。『後期ローマ時代の芸術産業』の第何版かは忘れたが、リーグルは触覚的という言葉から触視的(haptique(フランス語だが))という言葉を使うようになる。これはドゥルーズの『感覚の論理』の註でも言及されている。ベンヤミンが手直しする前のリーグルの触覚概念を、触覚として考えていた場合、ドゥルーズとも関わりは出てくると思われるのだが。

そもそも『複製技術時代の芸術』のフランス語訳は、ドゥルーズと親交があったクロソウスキーが行なっている。そのためドゥルーズが読んでいてもおかしくないと思うのだが、ドゥルーズの著作中でこれに限らずベンヤミンの名前を見たことがない。ドゥルーズベンヤミンの論理が違うのは分かるのだが、それにしても不思議な気がする。

そんなことを頭の隅に入れつつ、『千のプラトー』を読む。

覚書として。