大阪歴史博物館へ。

初めて行く場所だったのだが、道を聞きながら比較的すんなりと到達。京阪で天満橋で降りて歩いて15分程度のところにある。

歴博で行なわれている展示は、脳の展示をメインとした「脳コレ」である→http://www.mus-his.city.osaka.jp/

昆虫や魚類、鳥類、ヒトの脳―南方熊楠のものもある―までいろいろな脳が展示されている(ホルマリン漬けか)。

「脳コレ」と題打ちながらも、展示内容は脳だけにとどまらず、視覚、聴覚、触覚などに関係する展示も行なわれており、割合としては実物の脳関係よりもそちらの方が若干多めである。もちろん、これらは切り離して考えることはできないが。

そうした展示の中で、錯覚を利用した作品もある。色彩や形態を利用することで、生理学的な錯視としての運動効果を与える作品―つまりオプ・アートと同じ原理を持った作品がある。このような作品の中で興味深かったのは、平面を重ねることでそうした運動や「ズレの感覚」をもたらすという点が見られることである。薄い薄い平面としての存在―文字通りの平面を重ねるものや、レイヤーとしての色彩の重なり―を積み重ねることでそうした効果は生まれるが、それは平面を一枚一枚捉えるのではなく、複数の極薄の存在を同時に捉え、そうした平面間を移行しなければ生成されることのない感覚である。つまりこれらの平面は圧縮されると同時に、それら一枚一枚の不連続なものの積み重ねを剥がすことが必要になるといえるのではないだろうか。圧縮と剥離が同時に存在する。

こうした平面間の移行をコンタクトイメージと捉えることができるだろうか。このように考えた場合、やはりデュシャンのアンフラマンスの概念をきちんと理解しなければならないし、ロトレリーフとオプアートの違いは明確に打ち出さなければならないだろう。なによりもオプアートへの定義と、その位置づけをまずは考えておこう。
さらに平面ということに関して、オプアートを具体例と考えることで、ドゥルーズがなぜ<haptique>という概念を必要としたのか、ということについての切り口としてみたい。

なお、一般の展覧会では音声ガイドを使って作品の解説が行なわれるが、この展覧会では川島隆太氏も関係しているということでDSによる解説つきである。DSを使った展示もあるのだが、やはりこうしたポータブルのゲームを展示作品とすると、展示としてのパブリックなスペース―眼差しが充満している空間―では極めて落ち着かないものであるということが良くわかる。こうした携帯ゲームは私的な視点というものを前提として作られているのだろう。