国立文化財学院は一般行政局*1直接の管轄下にある文化財保護という極めて実務に即した教育が行われる、ある意味フランスの文化メディア教育の中で最上位にくる少人数制の学校である。それと同時に、学芸業務に携わるあらゆる人に対する高いレヴェルでの社会人再教育の場を提供することにもなる。

博物館監査機構*2は、1991年の施行令によってフランス博物館局の前面的な組織改革が行われた際に、「地方博物館監査機構」→「指定・統制博物館監査機構」と変遷を経て、正式に発足しなおすことになったものである。この監査機構は文化省に設けられたフランス博物館局の監督下にある公共施設の活動を側面から援助する機構横断型の監査システムである。ただし、その役割は学術的な面に限られている。文化財保存監督官組織をまとめる機関でもあり、その職務を代表するためコレクションとの関わりを強く持つことにもなる。こうして、事務的な側面だけではなく博物館やコレクションに対して助言や答申を行うこともある機関である。とりあえず監査機構に関しては、博物館同士をつなぐ複合的・横断的ネットワークとして考えておけばよいだろう。

さて、こうした行政制度・機関が関わる文化事業にはアンドレ・シャステルが火付け役となった「総目録」*3と通称される計画が深く関係していた。「総目録」はフランス国内の文化財の徹底的なデータベース化とその活用を主眼としていた。この事業はシャステルの提案を受け「一九六二年第四次計画法」*4に組み込まれるのだが、このとき政治的イニシアティヴをとったのが文化大臣アンドレ・マルローであった。正式な発足は1964年4月14日で、正式名称は「フランス建造物・美術品総目録担当国家委員会」*5で、当初は内閣官房直属機関で完全に独立した自律機関であった。初代委員長はジュリアン・ケーン、没後引き継いだのが発案者のアンドレ・シャステルである。1978年には「総目録」を新たに創設される文化省文化財局に併合することが決定され、1985年の政令で「フランス記念建造物・芸術的富総目録」*6として正式に発足しなおしている。この事業の原則は二点、すなわち「脱=中央」*7とデジタル画像やヴィデオなど最新の「技術」*8の活用であった。なお「総目録」はあくまでも文化財のデータベース化担当であり、その保護の推進は文化省文化財局管轄下の「歴史建造物」であることには注意が必要である。

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こうしたフランスの文化政策の「総目録」化は18世紀にはすでに見ることができ、百科全書的な姿勢とのつながりを見ることができるだろう。
1970年代から80年代の同時代に目を向ければ、こうした目録化はフランス国内にとどまるものではない。例えば、アメリカでテッド・ネルソンによって提唱された「ザナドゥ計画」との比較をすることもできるだろう。これらはコレクションとしてではなく、利用できるものとしてのアーカイヴという共通点を持つのではないだろうか。アーカイヴァル・ネットワーク的なあり方としての目録化。
また同時期の思想的にはドゥルーズの『アンチ・オイディプス』が1972年に、「リゾーム」が序文として掲載されたガタリとの共著『千のプラトー』が1980年に出版されていることもあり、当然これらの著作も政治的なスタンスとは無縁ではないだろうけれども、それはまた別の話。

こんどは現代アートがこうしたフランスの文化政策にどのように組み込まれるのかを確認しておかなければならない。今回確認した著作で見る限りは、対象とされる芸術作品はすでにハイアートとしての芸術作品を前提として話が進んでいるように思われる。こうした制度において現代アートはどのような反応を示され、受容・拒絶されるのかはきちんとそれに関する論争の経緯をおさえてチェックしておくこと。

*1:Direction de l'administration générale

*2:Inspection générale des musées[de France]

*3:Inventaire générale

*4:Loi du Ⅳ Plan de 1962

*5:Commisssion nationale chargée de l'Inventaire générale des monuments et œuvres d'art de la France

*6:Inventaire générale des monuments et richesses artistiques de la France

*7:Décentralisation

*8:techniques