唐ゼミ

唐ゼミ京都公演。

場所は廃校となった小学校。この時点で相当胡散臭い。おまけに屋外でのテント公演なので、きちんと座席があって区画わけされていて近代的な美術館のようなホワイトキューブ的な劇場とは対極といっていい設備である。これがまた大概胡散臭い。そもそもこの廃校となった小学校のある場所が京都・木屋町という飲み屋街と風俗街が混在する地域のど真ん中。どこから見ても胡散臭さが満載で入れ子細工になった場所での公演である。
舞台であるテント内は大入りで、まさに身動きが取れない状態。文字通り前後左右の人と密着し、脚を組みかえることも難しい。そんな中で劇が始まる。
プロット自体はところどころよく分からない部分もあるが、理解できるかできないかに関係なく、息つくまもなく様々な光景が畳み掛けてくる。目や耳だけでなく嗅覚も刺激される。身体に訴えかけてくる。泥、夏みかん、良くわからない液体等が飛んでくるのだ。さらには砂やほこりも舞い上がる。そうした様々なものの寄せては打ち返すイメージは本当に圧倒的である。
今回は2回目ということもあり前回よりも比較的冷静に見ることができた部分もあった。特にテントという特性をもの凄く活かしていることに気づく。外部の音を遮断するような建物とは違い、テントの屋根にいろいろなものをぶつけることで様々な音響を出したり、テントの外で役者の声だけが聞こえたり。テントという膜を通して外の世界とつながりを出すような演出。空間を限定することで逆にそれを延長していくようなあり方。
全体を通してどこか人目を忍んでいけないものを見ているかのような後ろめたさが憑きまとう劇であった。そうした後ろめたさ自体は決して悪いものではなく、むしろ後ろめたいからこそ思わず見入ってしまい、没入してしまう劇であった。見終わった後も十分に後ろめたさという快感さを残しつつ、自分自身も公演内容と公演場所と同様に胡散臭くなって、厳しい冷え込みにもかかわらず体が少し熱くなって帰宅。テントから自宅までつなげてしまうような劇でした。またの公演を期待してます。