メモも兼ねて10月の大学院演習の原稿を書き始める。
ひとまず、書く。論文作業などで今年はまだ手を動かしていない分、キーを打つ感じがぎこちない。
テーマはメディアアートで、軸を二つほど作る。
これにうまく自分なりに噛み砕いて消化したドゥルーズの発想を咬ましていけるか。
まずはチャレンジ。

エコロジーつながりで。
ジェームズ・ギブソンが提唱した生態心理学における情報概念について書かれた論文を読む。著者はエドワード・リードとレベッカ・ジョーンズ。リードはいくつか邦訳された著作もある。

大枠としては、旧来の心理学―特に構成主義 constructivism―に対していかにギブソンの生態心理学がラディカルであるか、ということを心理学の実験方法の違いや、特に知覚や運動といった観点から論じたもの。
違和感を感じたのが、ギブソンが感覚よりも知覚に優位性を見ていたという内容である。確かに、ギブソンの著作ではそう取れる部分もあるけれども、実際に従来の五感とは異なる形の感覚論について論じている二番目の著作もあるので、そこまで言い切ってしまっていいのか、という違和感は残る。おそらく、感覚と知覚という分断して考えるようなありかたとは異なる感覚・知覚論を考えるというニュアンス込みで、知覚を優位に採り上げているといっているのだと思うのだけれども。
それともう少しサイバネティクス的な情報概念との違いが書かれているかと思ったが、あまり無かったのが残念。もちろん言語をベースとしているかどうかで大きな違いはでてくるが、それでも例えばギブソンと同時代のベイトソンなどは情報や形態の話などで似ていることを考えているような気がする。

ひとまず、運動と知覚の枠組みはきちんとおさえることにする。

また、この論文で芸術とギブソンの話で関連するものとして挙げられるのがゴンブリッジとグッドマン。

Languages of Art

Languages of Art

分析哲学との絡みは必然的にでてくると思われるので、こちらにも目配りしておく。

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

平凡社より復刊されたガタリの著作。

エコロジーという概念を、現在主として使われるような環境保護のような概念に押し込めることなく、諸々の概念を横断するための概念―それ自体もほかの概念へと織り込まれて変容していく―として用いている。

精神分析への批判などドゥルーズを読むときにも参考になる部分も多い。

ガタリの大阪講演の内容も含まれているが、やはり話し言葉の方がガタリは面白いような気もする。

エコロジーの概念は『カオスモーズ』にも所収。

第三回イメージ論フォーラム

案内をいただきました。

昨年から始まり、今回3回目を迎える「若手研究者によるフォーラム」について案内いたします。みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

若手研究者によるフォーラム
第三回「イメージ(論)の臨界:イメージのポリティクスとエコノミクス」

日時 2008年8月30日(土)13:00より
場所 京都大学大学院人間・環境学研究科棟 地下B23
http://www.h.kyoto-u.ac.jp/access/
http://homepage2.nifty.com/katotetsu/okada03.pdf
主催 科学研究費補助金萌芽研究「美術史の脱構築と再構築」(代表:岡田温司
お問い合わせ 京都大学岡田温司研究室 075-753-6546
事前申込不要、お気軽にご来聴ください。

パネリスト
荒川 徹(東京大学大学院・博士後期課程)
野田 吉郎(東京大学大学院・博士後期課程)
宮粼 裕助(新潟大学人文学部・准教授)
乾 由紀子(京都大学大学院・博士後期課程修了)
高松 麻里(ニューヨーク大学美術研究所・明治学院大学非常勤講師)
武田 宙也(京都大学大学院・博士後期課程)

司会
郷原 佳以(関東学院大学・専任講師)

各発表タイトル

荒川徹「連接的自然──後期セザンヌホワイトヘッド

田吉郎「Ambarvalia(あむばるわりあ)で芸術を指差す――西脇順三郎の詩と詩論」

宮崎裕助「パラサブライムについて──カント崇高論の臨界」

乾由紀子「イギリス炭鉱写真絵はがき:研究の内容とプロセス」

高松麻里「王の死の荘厳:狩野内膳筆『豊国祭礼図屏風』をめぐって」

武田宙也「フーコーにおけるイメージと政治」

ニーチェと哲学 (河出文庫)

ニーチェと哲学 (河出文庫)

ドゥルーズの著作がまた文庫化された。持ち運びもどんどん楽になる。