日本時間学会設立→日本時間学会HP

時間概念に触れない哲学というものはほとんどないし、科学との関係―ニュートンアインシュタインなど―も深い。

また、時間と関わる芸術も挙げていけばきりが無いのは周知のことであろう。

どんな学会かも分からないし、これからどうなるのかもわからないが(自分自身含め)なかなか面白そう。

月が赤く満ちる時―ジェンダー・表象・文化の政治学

月が赤く満ちる時―ジェンダー・表象・文化の政治学

詩人、映像作家などさまざまな顔をもつトリン・T・ミンハの著作。

トリンやその作品に関してしばしば言及されるのが、彼女の出自ではないだろうか。

つまり、ベトナム出身で、フランスに留学し、アメリカへと活躍の場所を移していったマイノリティ、さらには女性であるということ、である。

もちろん、トリン自身もそのような経歴・性別から意識的・無意識的に言説や作品を制作しているのだろうが、それを語る側が、彼女の出自にまつわる背景へと飲み込まれてしまっているのが多いように感じられる。すなわち、作家論的な観点からのみ語られてしまっていることが多々あるのではないだろうか。

それに関する検討はとりあえずわきにおき、本著作は周縁(部)から/の思考ということが一つキーワードになるように思われる。

周縁(部)という概念は、他者やエスニシティなどの概念と同様、反帝国主義や多民族主義などを語るときに用いられる。

しかしながら、そうした概念自体が、帝国主義などを作り上げた白人=西洋の思考体系において成立する概念であり、それを用いることにより西洋=白人的思考様式を強化する側面をももつ。

トリンの思考はそうした「周縁」という概念をもちいて、ファロス中心主義、男性中心的なあり方を批判しつつも、そうした「周縁」の概念そのものにも批判を向ける。それは「周縁」という概念を空間的な対置(ヨーロッパに対するアジアなど)に回収するのではなく―例えば取り上げる作品を、アフリカなど作家の出自としての「周縁」に還元してしまうのではなく―周縁の概念そのものを流動的にし、ノマドのようにさまざまな方向へと流出させ、接続させる。すなわち、周縁部から議論を開始させつつ、周縁の概念そのものを作り上げる襞を精緻に解きほぐし、そのとき周縁は空間的な場所にとどまらず、異なる方向へと展開していくことになろう。

STUDIO VOICE休刊→日本を代表するカルチャー雑誌『STUDIO VOICE』が8月発売号で休刊

さまざまな雑誌が休刊する中、ご多分に漏れずSTUDIO VOICEもその流れに飲み込まれてしまったようだ。
こんな人も書いていたのかと思うときもちょこちょこあったので、きちんと資料として扱えるかぐらいはざっと概観しておく必要があるかもしれない。

はやめに所蔵している機関を探しておくこと。

マイケル・ジャクソン逝去のニュース。

最近PVを調べていたところにこのニュース。

僕はあまりしらないのだけれども、なんとなくこの人ほど「スーパースター」という言葉が似合うと同時に似合わない人もいないような気がする。

「スリラー」のようなヒット曲を連発し、ムーンウォークのような華やかなダンスパフォーマンスで観客を魅了してきたと同時に、そうしたスターには似合わない不穏な話題にも事欠かなかったのは周知の事実だろう。

それ以上に、スーパースターと言ってしまえば、それだけでは表現できないものごと、スーパースターなどという陳腐な言葉では表現できないことがら、できごとのほうが数多く残ってしまう存在。進んでいると思ったら遠ざかるムーンウォークのようなとらえどころのなさ。

いずれにせよ、清志郎に続いてまだ若くして逝去してしまった人がまた一人。

さよなら、「スーパースター」。

学会発表。

聞いていただいた方々、意見を下さった方々、ありがとうございます。

ついでに東京で開催されていた、近代美術館のヴィデオアート展と現代美術館の池田亮司展を見て、京都に戻る。

京都に近づくにつれ、マスク率が高くなっていくような気がした。

ヴィデオアート展では、ヴィト・アコンチなどクラウスの論文に実際に採り上げられている作品を実際に確認できたので助かったが、結構駆け足になってしまった。

全ての作品をフルに見たら時間は相当かかるだろう。

今年は少なくともあと一回は発表しなければならなくなりそうなので、その準備のために目配りもしていかなければ。